中国茶アドバイザー/インストラクターのホームページへようこそ。私たちと一緒に中国茶を学んでみませんか?

寒英煮绿尘——谈雪水沏茶

2022/02/20

寒英で緑塵を煮るー雪解け水による煎じ茶を語る
姚国坤老師

国際茶文化研究会のWeChatで配信された姚国坤老師の記事を日本語でお伝えしています。原文は以下からご覧ください。
https://mp.weixin.qq.com/s/SLVyE18H3V_cNmYfx6jGQA

雪覆茶园(图源:九龙县人民政府)

「寒英」とは雪のたとえであり、「緑塵」とは粉茶を指す。合わせて、雪解け水で茶を入れること。これは古くからずっと茶人に流行の最先端と称されてきた。

元代の謝宗可の詩『雪煎茶』では「“夜扫寒英煮绿尘,松声入鼎更清新。月团影落银河水,云脚香融玉树春。」とうたわれ、雪解け水で茶を入れる情景が生き生きと非常に細かく描かれている。古の人は、雪解け水は不純物を含まず、溶けると、水質は「清く」「活性があり」「軽い」という特徴を有するだけでなく、すっきりした甘みが出ると考えていた。雪解け水での煎じ茶は、一つには甘味、二つには清涼感がある為に選ばれる。唐代の陸羽が評定した天下の名水二十品、その中には雪解け水も含まれる。唐代の白居易の詩『晩起』に書かれた「積雪を融かし、その水で香り高い茶を煮る」も、こういうことである。宋代では、雪解け水での煎じ茶に関する記述はより多い。丁謂は、詩作『煎茶』の中で「痛惜藏书箧,坚留待雪天」と書き、李虚己は『煎茶呈学士』の中で「试将梁苑雪,坚留待雪天」とうたう。辛棄疾は『六幺令』に「细写茶经煮香雪」と記している。
このように、とりわけ「雪解け水で建茶を煎じる」ことが、宋代には極めて流行した。

宋代以降もずっと、雪解け水での煎じ茶は、茶人に称されている。清代には、曹雪芹の小説『紅楼夢』に、「降り積もり間もない雪を掻き集め、すぐに茶を沸かす」の記述が見られる。

雪が茶畑を覆う
では、古の人は、なぜ雪解け水での煎じ茶を尊んだのだろうか。雪解け水には、清く、軽く、活性があり、甘く、すっきりしているという上述の長所の他、より奥深い境地がある。明代の文震亨の『長物志』には「雪为五谷之精,取以煎茶最为幽况」、又「(雪)新者有土气,稍陈仍佳」と記され、清代の呉我鴎の詩『雪水煎茶』には「绝胜江心水,飞花注满鸥;纤芽排夜试,古瓮隔年留」とうたわれている。年を越した雪解け水には、清涼の気がなお存在し、茶を沸かすのに適すると考えられていたのだ。『紅楼夢』では、妙玉が攏翠庵で宝玉、黛玉、釵宝の三人を「梅花の雪による茶会」に招く。5年の間保存していた、梅花の上から掻き落とした雪で茶を煎じたという話である。このように茶を味わうと、一層上品で趣がある。

今日に至っても、雪解け水での煎じ茶は、茶人に楽しく語られる。雪解け水は、河川水や湖水と比べ、総じて衛生的で、清らかな甘味がある。しかし、絶対的に純粋な水は自然界では求めにくい。特に人家がたてこんだ地域や鉱工業地帯周辺では、まだ地面に落ちていない雪解け水であっても、大気の汚染により塵、埃やその他不純物を含む。従って、雪解け水で茶を煎じる際にも、具体的な分析を行うことが必要である。


宋美龄《雪水煎茶》诗:
琼尘深积小溪平,取雪鼎中煎茗清。
流凝更无桔槹巧,井埋自隔辘轳声。
竹炉汤沸玉川思,柴火红稀陆羽情。
七碗堪添高卧兴,山阴谁识一时荣

姚国坤老師

中国農業科学院の茶葉研究所の研究員であり、現在、中国国際茶文化研究会の学術委員会の副所長、世界茶文化学術研究協会の副会長、および国際名茶協会(ISTA)の専門家委員会。
農村開発省の茶の技術コンサルタントとしてマリ共和国やパキスタンへ行き、国立の茶の試験場を設立しました。また、茶と茶文化の学術交流と視察の為、米国、日本など12を超える国や地域を訪れており、中でも、韓国、パキスタン、マレーシア、シンガポール、香港、マカオへは何度も足を運んでいます。
2003年には、中国初の応用茶文化専攻学科(浙江省修連大学)の設立にリーダーとして参加し、2005年には、中国初の茶文化大学(浙江農林大学)の副学長を務めました。
240以上の学術論文と90以上のお茶とお茶文化に関する本を出版。
4つの科学技術進歩賞を受賞し、6つの科学技術分野における成果を挙げています。余姚市中国茶人生涯功労賞の受賞者であり、受賞者は、その分野の専門家として国務院から特別政府手当が支給されます。